「黒猫」(ポー)

「恐怖」の主体は、実は「私」にある

「黒猫譚」(ポー/渡辺啓助訳)
(「ポー傑作集」)中公文庫

「ポー傑作集」中公文庫

「黒猫」(ポー/巽孝之訳)
(「黒猫・アッシャー家の崩壊」)
 新潮文庫

「黒猫・アッシャー家の崩壊」

杜絶れ杜絶れの
子供の啜り泣きとも思へたが、
それが忽ちきりきりと
高まつて長く引つぱつた叫び声、
いやもうこの世ならぬ、
人の声とも思へない
――呻き、怒号となり、
果ては、恐怖とも凱歌とも付かぬ
慟哭に変つてゆくのであつた…。

ご存じポー「黒猫」の最終場面です。
警官たちの疑念を晴らしたと
確信した主人公が、
これ見よがしに死体を塗り込めた壁を
強く叩いた直後の、
天国から地獄へと真っ逆さまに
突き落とされた瞬間です。
本作品の味わいどころは、
もちろん「恐怖」にあります。

〔主要登場人物〕(  )は巽訳
「私」(「わたし」)
…語り手。
 かつては動物愛護者だったが、
 酒に溺れ、動物虐待に走る。
「妻」
…「私」の妻。
 「私」の暴力はやがて彼女へと向かう。
プルトウ(プルートー)
…「私」が愛玩した第一の黒猫。
 「私」に片眼を抉られ、
 後に縊り殺される。
(第二の)プルトウ(プルートー)
…「私」が二番目に飼育した黒猫。
 最初の黒猫とは異なり、
 胸のあたりに白い毛が交じっている。
 すでに片眼が潰れていた。

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今日のオススメ!

本作品の味わいどころ①
運命の急転直下!罪を告白する殺人者

冒頭に掲げた一節が、本作品の
最後のクライマックス場面です。
そのままやり過ごしていれば、
「私」は平穏無事に
生活できたのでしょう。
しかし、彼は
余計なことを口走ってしまうのです。
それは得意になって
話したのではありません。
「自分で自分が何を饒舌るのやら
少しも分から」ないまま、
「とうとう口を開いて
仕舞つた」のです。
自分が意図しないまま
告白の言葉を発したようなものであり、
「私」の精神そのものが
異常な状態に置かれているか、
もしくは黒猫の怨念に操られているか、
そのどちらか
(もしくはその両方)なのです。
ここが本作品の「恐怖」の一つめであり、
じっくり味わうべき「恐怖」なのです。

本作品の味わいどころ②
魔物か亡霊か!?黒猫の祟りは恐ろしい

もちろんそれ以前に、
黒猫自体が一つの「恐怖」と
なっているのは確かです。
黒猫の怨念ともいえる超常現象は
三つ描かれています。
①火災で焼け残った壁に、
 殺された黒猫の姿が浮かび上がる
②第二の黒猫の胸の白い毛が、
 やがて鮮明な絞首紐の形となる
③黒猫が妻の死体とともに
 壁に塗り込められ、なお生きていた
これだけで十分に
ホラーの要素を満たしています。
しかも徐々に恐怖が高まるように、
小出しにしながら
雰囲気をおどろおどろしく盛り上げる、
ポーのしたたかな演出が
成されているのです。
この「黒猫」の存在こそ、もちろん
本作品の「恐怖」の大きな部分であり、
十分に味わうべき「恐怖」なのです。

本作品の味わいどころ③
真の恐怖は、殺人者の方が本当の「私」

しかし、真に味わうべきは、
主人公「私」の人物そのものと考えます。
単純なホラー小説として
さらりと読み流すと、
前述の「黒猫」の恐怖が
最も大きなものとして
捉えられるでしょう。
しかし、本作品の「恐怖」の主体は、
実は「私」にあるのです。

元来優しかった人間が、
酒に溺れて変質したのではありません。
最愛(であるはず)の妻を
手に掛けて殺害したあと、
「私」はまったく後悔していないのです。
第一の黒猫を始末したとき以上に、
平然としています。
そこに罪の意識は皆無です。

酒に溺れて変質したのではなく、
それが「私」の本性なのでしょう。
「妻」以外にほとんど描かれない人間、
酒場以外に描かれない「私」の社会性、
よくよく読み込めば、「私」は、
まともな人間とは思えない
人物像なのです。
子どものころは動物好きであったのも、
自分のそうした性質を
糊塗しようとする
無意識の行動だったとさえ
思えるのです。
この歪んだ「私」の人間性こそ、
本作品の真の「恐怖」であり、
丹念に咀嚼するべき
味わいどころとなっているのです。

何度読み返しても、
飽きることのない味わいを持つ、
ポーの傑作です。
小学生のころ、
図書館で見つけて読んで恐怖して、
以来、40数年間、
本作品を愛し続けています。
海外の古典作品は、今、
新訳ブームですが、
ポーについてはあえて古めかしい訳文の
渡辺訳で味わいたいと思っています。

〔「ポー傑作集」〕
黄金虫 渡辺温 訳
モルグ街の殺人 渡辺温 訳
マリイ・ロオジェ事件の謎 渡辺温 訳
窃まれた手紙 渡辺啓助 訳
メヱルストロウム 渡辺啓助 訳
壜の中に見出された手記 渡辺温 訳
長方形の箱 渡辺温 訳
早過ぎた埋葬 渡辺啓助 訳
陥穽と振子 渡辺啓助 訳
赤き死の仮面 渡辺温 訳
黒猫譚 渡辺啓助 訳
跛蛙 渡辺啓助 訳
物言ふ心臓 渡辺温 訳
アッシャア館の崩壊 渡辺啓助 訳
ウィリアム・ウィルスン 渡辺温 訳
渡辺温 江戸川乱歩
春寒 谷崎潤一郎
温と啓助と鴉 渡辺東 著

〔「黒猫・アッシャー家の崩壊」〕
黒猫
赤き死の仮面
ライジーア
落とし穴と振り子
ウィリアム・ウィルソン
アッシャー家の崩壊

〔ポーの文庫本はいかがですか〕
近年、新訳が登場しています。
新訳といえば、
光文社古典新訳文庫です。

角川文庫からの全3冊のポー作品集も
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